少し前に世界中を騒がせた「あの一枚の写真」についてお話ししましょう。
2019年4月。 人類は史上初めて、「ブラックホールの影」を撮影することに成功しました。 オレンジ色に光るリングと、中心にある不気味なほどの暗闇。 まるでSF映画のワンシーンのようなその画像は、アインシュタインが一般相対性理論で予言してから約100年を経て、ついに「実在」が証明された瞬間でした。
でも、不思議に思いませんか? 何万光年も先にある、光さえ脱出できない「真っ暗な穴」を、どうやって撮影したのでしょうか? その秘密は、「地球そのものを望遠鏡にする」という、とてつもないアイデアにありました。
仕組み:地球サイズの仮想望遠鏡
そのプロジェクトの名前は、「イベント・ホライゾン・テレスコープ(EHT)」。
実は、ブラックホールを撮影できるほど高性能な巨大望遠鏡は、地球上のどこにも存在しません。 計算上、地球からブラックホールを見るには、直径が約1万キロメートル(地球サイズ)の巨大なアンテナが必要になるからです。
「そんな巨大なもの、作れるわけがない」 そこで科学者たちは考えました。 「一つで作れないなら、世界中の電波望遠鏡を繋いで、一つの巨大な望遠鏡に見立てればいいじゃないか」
ハワイ、アメリカ本土、メキシコ、チリ、ヨーロッパ、南極…。 世界各地にある8つの電波望遠鏡を同時に使い、同じ時刻にブラックホールを見つめる。 それぞれのデータを合成することで、あたかも「地球と同じ大きさのレンズ」を持った望遠鏡を作り出したのです。
その視力は、なんと約300万。 これは、「東京から、月面にあるゴルフボールが見える」レベルです。 人類の執念が生んだ、とんでもない視力ですね。
撮影対象:2つのドーナツ
EHTが捉えたブラックホールは、現在2つあります。
M87(2019年公開): おとめ座の方向、5500万光年先にある超巨大ブラックホール。あの有名な「オレンジ色のドーナツ」です。

いて座A(エースター)(2022年公開):私たちの住む天の川銀河の中心にあるブラックホール。地球からの距離は2.7万光年。

特に「いて座A*」の撮影は困難を極めました。 M87は巨大すぎて動きがゆったりしていますが、いて座A*は小さくて動きが速いため、写真がブレてしまうのです。 何年もかけて複雑なデータ処理を行い、ようやくあぶり出されたのが、私たちの銀河の主(ぬし)の姿でした。
裏話:データが重すぎて送れない!?
このプロジェクトには、研究者たちの苦労が詰まった面白いエピソードがあります。
世界中の望遠鏡で観測したデータ量は、あまりにも膨大でした。 その量、数ペタバイト(ギガバイトの数百万倍)。 今のインターネット回線で送ると、とてつもない時間がかかってしまう量です。
では、どうやってデータを集めたと思いますか? 答えは、「ハードディスクを箱に詰め、飛行機で空輸した」です。
最先端の天文学プロジェクトなのに、最後は「物理的に運ぶのが一番速い」というアナログな力技。 特に南極からのデータは、冬の間は飛行機が飛ばないため、暖かくなるまで半年以上「お預け」状態でした。 あの画像の裏には、ハードディスクを持って空を飛んだ研究者たちの汗が染み込んでいるのです。
日本の貢献:アルマ望遠鏡
このプロジェクトにおいて、決定的な役割を果たしたのが、日本などがチリで運用する「アルマ望遠鏡」です。
アルマは感度がズバ抜けて高く、EHT全体の感度を底上げする「要(かなめ)」の存在でした。 さらに、日本の国立天文台の研究者たちが、画像処理や解析チームのリーダーとして大活躍しました。 あの歴史的な写真は、日本の技術と知恵なしでは撮れなかったと言っても過言ではありません。
見えないものを見るということ
「事象の地平面(イベント・ホライゾン)」。 そこから先は、光さえ戻ってこられない境界線です。
EHTが写したのは、正確にはブラックホールそのものではなく、その周りで超高速回転して輝くガスと、中心に落ちた「影(シャドウ)」です。 しかしその影は、確かにそこに「見えない怪物」がいることを証明しています。
地球サイズの瞳で、宇宙の深淵を覗き込む。 次はどんな「見えないもの」を見せてくれるのか、楽しみで仕方ありません。

参考文献
- NASA|Sagittarius A*: NASA Telescopes Support Event Horizon Telescope in Studying Milky Way’s Black Hole
- CHANDRA X-RAY OBSERVATORY|Chandra and the Event Horizon Telescope
- NASA|Telescopes Get Extraordinary View of Milky Way’s Black Hole
- NAOJ|天の川銀河中心のブラックホールの撮影に初めて成功
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