火星探査機「のぞみ」が宇宙を彷徨い始めたのと同じ2003年。 一機の探査機が、地球を旅立ちました。 小惑星探査機「はやぶさ(MUSES-C)」です。
彼のミッションは、火星よりも遥か遠くの小惑星に着陸し、そのカケラを持ち帰る(サンプルリターン)こと。 それは、NASAでさえ「成功の保証はない」と言った超難度のミッションでした。 これは、「のぞみ」の技術と経験を受け継ぎ、ボロボロになりながらも約束を果たした、ある探査機の話です。

電気で翔ける「イオンエンジン」
はやぶさの最大の特徴は、メインエンジンにあります。 火を吹く化学ロケットではなく、電気の力でガス(キセノン)を加速して噴射する「イオンエンジン」です。
- 化学ロケット: 燃費は悪いが、瞬発力がある(短距離走者)
- イオンエンジン: パワーは弱いが、燃費が抜群に良い(マラソンランナー)
その推力は、「1円玉を1枚持ち上げる程度」しかありません。 しかし、宇宙空間に空気抵抗はありません。 この微弱な力を何千時間も積み重ねることで、とてつもない速度を生み出すことができるのです。 まさに、長距離ドライブのために生まれた究極のエコ・エンジンです。
地獄の7年間
2005年、小惑星「イトカワ」への到着と、サンプルの採取(タッチダウン)には成功しました。 しかし、本当の地獄は「帰り道」に待っていました。
- 燃料漏れ: 姿勢制御用の化学エンジンが全滅。
- 通信途絶: 姿勢を崩し、アンテナが地球から外れ、行方不明に。
- バッテリー切れ: 太陽電池に光が当たらず、極寒の中で放電。
「のぞみ」と同じく、宇宙の迷子になってしまったのです。 しかし、運用チームは諦めませんでした。 7週間後、かすかな通信ビーコンをキャッチ。そこから数年かけて姿勢を立て直し、奇跡的に帰還ルートへ復帰しました。
通信が途絶え、復旧までに要した時間は、数日や数週間ではありません。年単位の、気の遠くなるような作業でした。
伝説の「クロス運転」
地球まであと少し。2009年11月、とどめの一撃が襲います。 頼みの綱であるイオンエンジン4基のうち、生き残っていた最後の2基が故障してしまったのです。
- エンジンA: 中和器(中性の電子を出す部分)が故障。
- エンジンB: イオン源(推力を出す部分)が故障。
どちらも単独では動きません。万事休すかと思われました。 しかし、技術者たちはあらかじめ、回路に「隠し通路(バイパスダイオード)」を仕込んでいたのです。
「エンジンAのイオン源と、エンジンBの中和器を、電気的に繋いで1つのエンジンとして動かす」
これを「クロス運転」と呼びます。 まるで2つの壊れた心臓を繋ぎ合わせて蘇生させるような、離れ業です。 「こんなこともあろうかと」 設計段階で仕込まれていたこの回路が、はやぶさを救いました。
帰還:最期の光
2010年6月13日。 満身創痍のはやぶさは、ついに地球の上空へ帰ってきました。 彼が運んできた「カプセル」は、大気圏突入の直前に切り離され、オーストラリアの砂漠へ無事着地しました。
しかし、はやぶさ本体に大気圏を耐えるシールドはありません。 カプセルを送り出した直後、彼は大気圏に突入し、激しく燃え上がりました。 夜空を横切るその光は、満月よりも明るく輝き、そして無数の破片となって消えていきました。
燃え尽きる直前、彼は最後に、一枚の写真を地球に送信しました。 それは、ボロボロのカメラで撮った、「眩しい地球の姿」でした。 通信が途切れる寸前に送られたその写真は、下半分がノイズで切れていましたが、それこそが彼が最期まで任務を全うした証だったのです。
はやぶさが持ち帰ったカプセルの中には、小惑星イトカワの微粒子が入っていました。 「のぞみ」が果たせなかった「惑星間飛行からの帰還」を、彼は成し遂げたのです。
そしてその技術は、後継機「はやぶさ2」へと完璧に受け継がれました。 「はやぶさ2」が大きなトラブルなくミッションを成功させたのは、初代はやぶさが全てのトラブルを出し尽くし、その対処法を教えてくれたからです。
失敗は、終わりではない。 夜空を見上げるとき、あの輝く流れ星になった探査機のことを思い出してください。


参考文献
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