NASAのローバーたちは火星の「大地」を走り、火星探査を進めています。 しかし、2026年度、日本(JAXA)はあえて視点を少し上に向けます。 目指すのは火星本体ではなく、その周りを回る2つのいびつな月。 「フォボス(Phobos:恐怖)」と「ダイモス(Deimos:恐慌)」です。

ミステリー:彼らは何者か?
なぜJAXAは、わざわざ小さくてデコボコした月を目指すのか? それは、ここに「太陽系形成のタイムカプセル」があるからです。この2つの月の正体については、長年2つの説が対立しています。
- 捕獲説(養子): 小惑星帯から飛んできた岩が、たまたま火星の重力に捕まった。
- 巨大衝突説(実子): 大昔、火星に巨大な天体が衝突し、飛び散った破片が集まってできた(地球の月と同じ)。
もし「2」なら、フォボスの砂を持ち帰れば、「太古の火星(生命がいたかもしれない時代の地殻)」を分析できることになります。 火星本体に着陸して帰ってくるのは燃料的に困難ですが、重力の小さいフォボスなら、日本の技術で往復できるのです。
難易度:小惑星とはわけが違う
「小惑星探査なら『はやぶさ2』で成功したから簡単でしょ?」 そう思うかもしれませんが、MMXの難易度は段違いです。
- 重力の罠:
- 小惑星(リュウグウ)は、実質ほぼ無重力でした。
- フォボスには、小さいながらも「重力」があります。
- 「タッチダウン(一瞬触れる)」ではなく、「ランディング(着陸して踏ん張る)」が必要です。
- 着陸脚(ショックアブソーバー):
- 重力があるため、着陸時に衝撃があります。
- MMXは、特殊な「衝撃吸収脚(CORA)」を装備しています。金属3Dプリンタで作られた、蜂の巣のような構造が潰れることで衝撃を殺す、使い捨てのクッションです。
- NASAとESAの「タクシー」になる:
- 今回、MMXにはNASAのガンマ線・中性子分光計「MEGANE(メガネ)」や、ドイツ・フランス製の小型ローバー「IDEFIX(イデフィックス)」が相乗りしています。
- かつて教えてもらう側だった日本が、今や欧米の機器を運ぶ「メインドライバー」を任されているのです。
ちなみにこのMEGANEという名称、Mars-moon Exploration with GAmma rays and NEutrons、直訳するとガンマ線と中性子で火星の月を探査する、となるのですが、日本語の「メガネ」と偶然の一致でしょうか?日本がメインドライバーであることと関係ない、わけではないと思います。もちろん公式には単なる略称ですが、そう思ってしまうのも人情というものでしょう。みなさんはどう思いますか?
問題:頻繁すぎる「日食」
深宇宙探査における「電源」といえば、これまでは「ずっと太陽が当たっている」か「たまに影に入る」程度でした。 しかし、MMXが周回するフォボス軌道は過酷です。
フォボスは火星のすぐ近くを回っているため、頻繁に「火星の裏側(影)」に入ります。
- 公転周期: 約7時間39分。
- 環境変化: 数時間に一度、必ず「極寒の闇(放電)」と「灼熱の日射(充電)」が繰り返されます。
数年にわたるミッションの間、バッテリーはこの充放電を何千回、何万回と繰り返さなければなりません。 スマホのバッテリーが2〜3年でへたるのを想像してください。絶対に修理に行けない宇宙空間で、この激しいサイクルに耐え、かつヒーター電力を供給し続けることが必要です。
MMXのバッテリーシステムには、これまでの探査機以上の「高耐久性」と「熱制御(サーマルマネジメント)」が求められているのです。 電池は高温すぎても劣化し、低温すぎても劣化し、何回も充放電を繰り返すと劣化するのです。
未来への往復切符
ミッションは、2026年度に打ち上げが予定されています。
- 2026年度: H3ロケットで打ち上げ。
- 2027年: 火星周回軌道に到着。
- 滞在・観測: 3年近くかけてフォボスを観測し、着陸、サンプル採取。
- 2031年頃: 地球へ帰還(カプセル再突入)。
MMXが持ち帰る予定の砂は、10グラム以上。 「はやぶさ2」が持ち帰ったのが5.4グラム(それでも大成功)ですから、その倍以上を狙っています。
火星の衛星フォボス。その名の意味はギリシャ神話の「恐怖」。 かつて人類にとって「恐怖」だった未知の世界は、今、日本の技術によって「知識の源」に変わろうとしています。 NASAのローバーたちが火星の地表で歴史を掘り起こすなら、JAXAのMMXは火星の空から歴史を持ち帰る。恐怖に打ち勝ち、地球に帰還するのを心待ちにしています。
太陽系探査の最前線は、今、間違いなくここにあります。


参考文献
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