スピッツァー宇宙望遠鏡とは?|赤外線で「宇宙の体温」を描いた冷たい画家の物語

みなさんは、温かい飲み物が入ったマグカップから立ち上る湯気を眺めるのは好きですか? ゆらゆらと揺れる湯気を見ていると、なんだかほっとしますよね。でも、もし部屋の明かりを全部消して真っ暗にしてしまったら、その湯気は見えなくなってしまいます。

そこには確かに「熱」があるのに、私たちの目には見えない。

宇宙も同じなんです。 私たちが夜空を見上げて「綺麗だなあ」と思う星々の光。それは、宇宙にある光のほんの一部にすぎません。 暗黒に見える場所にも、実は燃えるような情熱や、生まれたばかりの星の産声が隠されているとしたら……覗いてみたいと思いませんか?

今日は、そんな「人間の目には見えない宇宙」を見るために旅立った、ある一つの望遠鏡のお話をしましょう。 名前は「スピッツァー」。 冷たく凍りついた体で、誰よりも熱い宇宙の心臓部を見つめ続けた、優しい画家の物語です。


目次

宇宙にかかる「埃のカーテン」と、見えない虹の色

私たちは普段、目で見て物事を判断しますよね。 赤いリンゴ、青い空、緑の木々。これらはすべて「可視光線」という、人間の目が捉えられる光の波長です。

でも、宇宙には意地悪な「カーテン」が存在します。 それは、宇宙空間に漂う塵(チリ)やガスです。

新しい星が生まれようとしている場所や、銀河の中心部分は、濃いガスや塵で覆われています。可視光線にとって、この塵は分厚い壁のようなもの。光が遮られ、向こう側を見ることができません。 まるで、霧の濃い夜に車のヘッドライトをつけても、先が見通せないのと同じです。

体温を感じる眼鏡、赤外線

そこで登場するのが「赤外線」です。 赤外線は、可視光線よりも波長が長い光の一種。私たちの目には見えませんが、肌で「温かい」と感じることができます。こたつのヒーターや、太陽のポカポカした暖かさ、これらに赤外線が関わっています。

この赤外線には、素晴らしい特技があります。 それは、「邪魔な塵をすり抜ける」という能力です。

可視光線が「粒の細かい砂」にぶつかって止まってしまうボールだとしたら、赤外線は「壁をすり抜ける幽霊」……とまでは言いませんが、障害物をひらりと避けて進むことができるんです。

つまり、赤外線で宇宙を見るということは、「宇宙の塵のカーテンを透かして、その奥にある熱源(体温)を直接見る」ということ。 暗黒の雲の中に隠れた、生まれたばかりの星の温もり。 冷たい宇宙の彼方にある、銀河の老成した輝き。

スピッツァー宇宙望遠鏡は、そんな「目に見えない体温」を捉えるために、2003年に地球を旅立ちました。


自分を凍らせて、熱を見る。「もっともクール」な望遠鏡の矛盾

ここで少し、スピッツァーの「健気さ」について語らせてください。

赤外線で宇宙を観測するというのは、実はとてつもなく難しい挑戦なんです。 なぜだかわかりますか?

自分の体温が邪魔をする

想像してみてください。 あなたは今、真っ暗な森の中で、微かなホタルの光を探そうとしています。 でも、あなたの手には、カンカンに照りつける強力なサーチライトが握られているとしたら? 自分のライトが明るすぎて、ホタルの光なんて絶対に見えませんよね。

赤外線望遠鏡にとっての「自分自身の熱」は、このサーチライトのようなものなんです。 望遠鏡そのものや、搭載している観測機器が少しでも熱を持っていると、その熱自体が赤外線を出してしまい、遠くの宇宙から届く微弱な赤外線をかき消してしまうのです。

だから、スピッツァーはどうしたか。 彼は、自分自身を徹底的に冷やしました。 絶対零度(マイナス273.15℃)に近い、マイナス269℃まで。

魔法瓶を背負った旅人

スピッツァーは、液体ヘリウムという「最強の保冷剤」をたっぷり詰め込んだ魔法瓶を背負って打ち上げられました。 宇宙空間で太陽の熱を浴びないように、大きなシールド(日傘)で常に身を守りながら、自分自身を極限まで冷やし続けたのです。

そうやって自らの「体温」を消すことで、彼はそれまで誰も見たことがなかった、宇宙の深淵にある「微かな温もり」を捉えることに成功したのです。

spitzerの外観
Image Credit: NASA/JPL-Caltech

スピッツァーが描いた「見えない名画」たち

スピッツァーが私たちに見せてくれた景色は、それまでの天文学の常識を覆すほど美しく、そして驚きに満ちていました。 ハッブル宇宙望遠鏡が「宇宙のきらびやかな宝石」を撮る写真家だとしたら、スピッツァーは「宇宙の骨格や血流」を描く画家でした。

創造の山(Mountains of Creation)

カシオペヤ座にある星形成領域「W5」。 可視光で見ると、そこはただの暗いガスと塵の塊にしか見えません。 しかし、スピッツァーが赤外線を観測したとき、そこには息を呑むような光景が広がっていました。

巨大な柱のようにそそり立つガス雲。その先端や内部で、無数の「星の赤ちゃん」たちがピンクや赤に輝いていたのです。 それはまるで、母親の胎内で眠る命の鼓動が聞こえてくるような、神々しい「創造の現場」でした。 分厚い塵の毛布の中で、星たちは確かに温かく輝いていたのです。

7つの地球、トラピスト1(TRAPPIST-1)

そして、スピッツァーの最大の功績の一つと言えるのが、2017年に発表されたあるニュースです。 みなさんもニュースで「TRAPPIST-1(トラピスト・ワン)」という名前を聞いたことがあるかもしれません。

地球から約40光年先にある、赤くて小さな恒星。 スピッツァーは、この星の周りを、なんと7つもの地球サイズの惑星が回っていることを突き止めました。

しかも、そのうちの3つは「ハビタブルゾーン」と呼ばれる、水が液体で存在できるかもしれない領域にあったのです。 兄弟のように仲良く並んだ7つの惑星。 もしその中の一つに降り立ったら、空には隣の惑星が、まるで私たちの月のような大きさで浮かんでいるかもしれません。

スピッツァーは、惑星そのものを写真に撮ったわけではありません。 惑星が恒星の前を横切るとき、わずかに光が遮られる(赤外線の量が減る)様子を、なんと500時間以上も見つめ続けることで、この発見を成し遂げました。

じっと目を凝らし、微かな影の揺らぎから「そこに誰かがいる」ことを見つけ出す。 それは、忍耐強くて優しい彼だからこそできた発見でした。


「ウォーム・ミッション」と、次世代へのバトン

2009年、スピッツァーに一つの転機が訪れます。 搭載していた「液体ヘリウム(保冷剤)」がついに底をついてしまったのです。

人間で言えば、酸素ボンベが尽きたようなもの。通常の衛星なら、ここで運用終了です。 しかし、スピッツァーの物語はここでは終わりませんでした。

少し温まっても、まだ見つめる

冷却剤がなくなると、望遠鏡の温度は上がってしまいます。 それでも、宇宙空間の冷たさを利用して、マイナス240℃程度(これでも十分極寒ですが)を保つことができました。 一部の観測機器は使えなくなりましたが、それでもまだ動く2つのカメラを使って、彼は観測を続けたのです。

これをNASAのチームは「ウォーム・ミッション(Warm Mission)」と呼びました。 「ウォーム(暖かい)」と言ってもマイナス240℃の世界ですが。

満身創痍になっても、彼はその目が開いている限り、宇宙を見つめることをやめませんでした。 先ほどお話しした「TRAPPIST-1」の発見も、実はこのウォーム・ミッション時代の成果なんです。 ベテランになってもなお、世界を驚かせるホームランを放ったようなものですね。

そして、ジェームズ・ウェッブへ

2020年1月30日。 16年以上にわたる長い長い旅の末、スピッツァー宇宙望遠鏡はついにその運用を終えました。 地球からの送信が途絶え、彼は今も、太陽の周りを回る軌道上で、静かに眠っています。

しかし、彼が集めた「赤外線で宇宙を見る」という技術と情熱は、決して消えたわけではありません。 そのバトンは、今、最強の宇宙望遠鏡「ジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡(JWST)」に受け継がれています。

ジェームズ・ウェッブが見せてくれる、あの鮮やかで奥行きのある宇宙の姿。 あれは、スピッツァーという偉大な先人が、「ここに見るべきものがあるよ」「こうやって見ると綺麗だよ」と教えてくれたからこそ、撮ることができた写真なのです。

地球、太陽系、そして銀河の彼方まで。 スピッツァー宇宙望遠鏡は、私たちが決して見ることのできなかった「宇宙の体温」を教えてくれました。

冷たい機械の体で、誰よりも熱い情熱を持って宇宙を見つめ続けた彼。 今夜、もし星空を見上げることがあったら、目に見える星の光だけでなく、その間の暗闇に思いを馳せてみてください。

見かけは暗闇でも、そこには多彩な波長の光や熱の流れが満ちています。私たちの目に見えないだけで、“静かな営み”が確かに存在しているのです。厚い塵の毛布の中で眠る星の赤ちゃんや、人知れず輝く惑星たちの温かい営みが、確かにそこにあります。

「目に見えないものこそ、大切なんだよ」 星の王子さまのキツネが言った言葉の通りかもしれません。

参考文献

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この記事を書いた人

「深夜の星空喫茶」管理人。 三度の飯より星とミルクティーが好き。飯もちゃんと好き。

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