夜空に尾を引いて現れる「彗星(ほうき星)」。 それは、太陽系が生まれた頃の記憶を留めた「汚れた雪だるま」です。
2014年、人類は初めてこの「雪だるま」の上に探査機を降ろすことに成功しました。 ヨーロッパ宇宙機関(ESA)の探査機「ロゼッタ」と、その相棒である小さな着陸機「フィラエ」です。
しかし、その着陸はトラブルの連続でした。 予定外の場所に落ち、太陽の光が届かない暗闇で、フィラエは「電池切れ」の恐怖と戦うことになったのです。 これは、宇宙の片隅で起きた、小さなロボットの孤独なサバイバル・ストーリーです。
10年越しのランデブー
彗星を追いかけるのは至難の業です。 ロゼッタは、地球や火星でスイングバイを繰り返し、10年もの長い旅を経て、ようやく「チュリュモフ・ゲラシメンコ彗星」に追いつきました。
ロゼッタが見たその彗星は、まるで「アヒルのおもちゃ」のような奇妙な形をしていました。 大小2つの岩がくっついた、いびつな形。 「こんな凸凹な星のどこに降りればいいんだ?」 管制室は頭を抱えましたが、決行の時は迫っていました。

刺さらなかったアンカー
運命の切り離し。 子機の「フィラエ」は、母機ロゼッタから離れ、ゆっくりと彗星へと降下しました。
計画では、着地した瞬間に「銛(もり/ハープーン)」を地面に打ち込み、機体を固定するはずでした。彗星の重力はあまりに小さく、固定しないとどこかへ飛んでいってしまうからです。 しかし、銛は発射されませんでした。
フィラエは彗星の表面で大きく弾み、宇宙空間へリバウンド。 まるでスーパーボールのように、約2時間も跳ね回り、当初の予定とは全く違う場所へ転がり落ちてしまいました。

日陰の60時間
フィラエが止まった場所。 そこは、岩の陰になった「暗闇」でした。
これは致命的でした。 フィラエは本来、太陽電池で発電して活動する設計でしたが、日陰では充電できません。 頼みの綱は、あらかじめ搭載していた「一次電池(使い切り電池)」だけ。 その寿命は、わずか約60時間。
「残された時間は60時間しかない」 管制室はパニックになりながらも、フィラエに命令を送り続けました。 写真を撮れ、ドリルを使え、成分を分析しろ。 フィラエは残りの命(電圧)を削りながら、必死に科学データを地球へ送り続けました。
そして着陸から57時間後。 「僕、もう疲れたよ(I’m feeling a bit tired)」 そんなツイート(ESA公式)を残し、電圧低下によってフィラエは深い眠り(休止モード)につきました。
おはよう、地球
フィラエの通信は途絶えました。 誰もが「もう二度と目覚めない」と思いました。彗星が太陽に近づけば熱くなるし、遠ざかれば凍りつく。精密機械が生き残れる環境ではないからです。
しかし、奇跡は起きました。 眠りについてから約7ヶ月後の2015年6月。 彗星が太陽に近づき、角度が変わったことで、岩の隙間から「一筋の光」がフィラエのソーラーパネルに差し込んだのです。
「ハロー、地球! 聞こえる?(Hello Earth! Can you hear me?)」 フィラエは再起動し、母機ロゼッタを通じて地球に声を届けました。 それは、童話「眠れる森の美女」のような、美しい目覚めでした。
地球の水はどこから来た?
短い活動期間でしたが、ロゼッタとフィラエの成果は偉大でした。 彼らは、彗星の成分の中に「アミノ酸(グリシン)」を発見しました。生命の材料です。
一方で、少なくともこの彗星の「水」の成分(重水素の比率)は、地球の海の水とは違うことが分かりました。 「地球の海は、彗星が運んできたわけではないかもしれない」 一つの謎が解け、また新しい謎が生まれる。 フィラエが命がけで送ってくれたデータは、私たちの生命のルーツを探るための大きなヒントになったのです。
参考文献
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