夏の夜空を見上げると、南の低い空にティーポットのような星並びが浮かんでいます。これがいて座です。半人半馬の弓手が矢を構えるこの星座は、ギリシャ神話の賢者を由来とし、矢の先には私たちの銀河の中心が位置しています。

神話|名医ケイロンと、癒せなかった傷
いて座のモデルについては諸説あります。現在では、賢者ケイロンと結び付けられることもありますが、古代ギリシャではクロトスという半人半馬の存在を由来とする伝承も残されています。
ケンタウロスは上半身が人間、下半身が馬の種族で、酒を好み暴力的な気質で知られていました。しかしケイロンは例外的な存在でした。アポロンから医学・音楽を、アルテミスから狩猟を学んだとされる彼は、ヘラクレス、アキレウス、アスクレピオスなど多くの英雄や賢者の師となりました。
ケイロンの死のきっかけは、英雄ヘラクレスとの事故でした。ヘラクレスが別のケンタウロス族と争い、放った矢が誤ってケイロンの膝を貫いたのです。矢にはヒドラ(うみへび座のモデル)の猛毒が塗られていました。
ケイロンは不死身の体を持っていたため、毒が回っても死ぬことができません。「死ねない」ということは、「永遠に痛み続ける」ことを意味します。あらゆる英雄の傷を癒してきた名医が、自分の傷だけはどうにもできなかった。苦しみに耐え切れなくなったケイロンは、不死の権利を別の者に譲り渡し、自ら死を選びました。ゼウスはその最期を惜しみ、ケイロンを星座として天に置いたと伝えられています。
なお、南の空には「ケンタウルス座」という別の星座もありますが、こちらも同じくケイロンに由来するとされる場合があり、神話の伝承は複数の系統が混在しています。
星座の形と見つけ方|ティーポットと、サソリへの矢
いて座は夏の夜、南の空の低い位置に見えます。見ごろは7月から8月ごろです。
全体の形は複雑ですが、見つけるときの目印は「ティーポット」の形です。弓を引く弓手の上半身にあたる8つほどの星を結ぶと、取っ手と注ぎ口のついた急須のシルエットになります。英語圏では「Milk Dipper(天の川のひしゃく)」と呼ばれることもありますが、日本ではティーポットの呼び名が定着しています。
星座の中で弓手が狙っているのは、西隣のさそり座です。矢じりは常にさそり座の心臓部「アンタレス」の方向に向けられています。ギリシャ神話では、ゼウスがサソリを監視させるためにこの位置にいて座を配置したとも伝えられています。さそり座がオリオン座を追いかけ、その後ろをいて座が見張る、という構図です。

天文|ティーポットの注ぎ口が指す「銀河の中心」
いて座の方向に目を向けると、天の川がひときわ濃く、幅広く見えます。これにははっきりとした理由があります。
いて座の方角こそが、私たちの属する天の川銀河の中心方向だからです。地球から約2万6000光年の距離に銀河の核があり、そこへ向かう方向を見ると、途中に無数の星が密集しています。それが、天の川の「濃い部分」として見えています。
銀河の中心には「いて座A*(エースター)」と呼ばれる天体が存在します。これは超大質量ブラックホールで、質量は太陽の約400万倍と推定されています。ブラックホール自体は光を放ちませんが、その周囲の高密度な星々やガスが強い電波・赤外線を放射しており、電波観測によってその位置が特定されています。2022年には「イベント・ホライズン・テレスコープ」による観測チームが、いて座A*の撮影に成功しています。


ケイロンの矢が狙うのは、表向きはさそり座です。しかしその矢の延長線上には、天の川銀河の中心、そして超大質量ブラックホールがあります。古代ギリシャの人々が神話に込めた弓手の姿が、結果として銀河の核を指していた、というのは偶然の一致です。ティーポットの注ぎ口の先には、私たちの銀河の中心があります。夏の夜にその方向を眺めると、天の川の向こう側へ続く宇宙の奥行きを、少しだけ実感できるかもしれません。

参考文献